~じぶんがたりとこれから建築の道を目指す女性たちに


●こどもの頃の

物ごころついた頃には、新宿の高層ビルの真下の町で、大工の祖父が建てた小さな一軒家に家族6人で暮らしていました。
大通りの近くで、トラックが通れば地震のように揺れ、夜になれば常にサイレンの音が響き、サーチライトが空をかける。
ミニマムにパッキングされた小さな家は、小学生になる頃には少し窮屈に感じました。
車の音のしない静かなリビングのある広い一軒家。風や緑や空を感じながら暮らす居住空間、、、
そんなイメージを膨らませて、小学校の頃から、父の会社で不要となった電算機用紙に図面を描き始めました。
愛読書は「住まいの設計」。
子どもには少々高額でしたが、どうしていたのか定期購読。
中学の頃、念願の郊外の一軒家に住むことになるのですが、父はその家に満足せず、頼んだ設計士ともめました。
設計士って大変だ…少々憧れがしぼんだ頃でした。


●成りたい自分に近づくために

高校は動く歩道に乗るように、踊り場前で一瞬悩み、それでも勢いで次の歩道に乗ってしまい、と某大学文学部に進みました。
このまま行くと企業に就職して・・・・はて、私は何になるんだっけ?
将来の展望を改めて考えていた頃、イギリスへのショートホームステイ、その後1カ月程の欧州バックパッカーとなります。
そこでヨーロッパの古い建物と対照的な洗練されたインテリアに心が高揚。
特にフランスのアビニョンの小さな美術館の窓辺のオーガンジーカーテン越しの柔らかい光の美しさに、
たった一つの窓でこんなに心が満たされるのか…と子供の頃の夢見た建築への思いを一気に呼び起こされました。

そして、某大学文学部を2年で中退し建築の道を目指すことを決心。美大インテリア科に編入学します。
建築に近づきはしたものの、授業の内容はインテリアデザインやプロダクトデザインが主だった上、
建築科ではないので建築士の受験資格がとれません(当時)
そこで、卒業してからアトリエ事務所に就職と同時に専門学校建築科夜間コースに2年間通いました。
それでやっと2級受験資格が取得できる。少し遠回りだったけれど、まあ仕方ない。
専門学校はさらに建築実務に近づけた気がしていました。



現実社会

社会に出るとバブル景気で建築業界は大忙しでした。
男性スタッフは寝袋で事務所に泊まって仕事をしていましたし、私も毎日最終電車で帰っていました。
小さなアトリエ事務所でしたが、常にスタッフが10人ほどは出入りしていて経理の女性もいました。
スタッフの間で怒号が飛ぶこともあった時代です。(今ではありえないかな?)

女性の設計スタッフはまだまだ珍しい時代で、社内の女の役割と言うのはまだまだありました。
新人時分は分からないことばかりで、いちいち聞くのも憚られ(何しろ皆が忙しいので)、
全てメモして持ち帰っても理解できない恐ろしさに、明日が来ないことを願うような毎日でした。
「我々の描く線一本は施主への何千万の負担になることもあり得ると思って線を引け」
と、厳しく育ててもらったこと、今ではとても感謝しています。

少し慣れてくると所内と現場では女性への対応が違うことを実感して来て、悔しいことも少なからずありました。
それでも目の前の仕事を何とかこなし続けているうちに、だんだん視野が広くなり、分からなかったことが分かるようになり、
出来なかったことが出来るようになり、女性の設計業務の立ち位置も少しずつ見えてきました。
基本設計、申請業務、実施設計、予算調整、現場管理、、、繰り返しながら鉄砲階段を上っていた感じでしょうか。
決して廻り階段ではなく、先の見通せる鉄砲階段。


新しいフィールド

その後、組織事務所と言われる大手設計事務所にお世話になります。
アトリエ事務所とは違う分業制に物足りなさを感じる部分もありましたが、別の面白味も多くありました。
扱う物件も大規模ですし、バブル崩壊後でもまだまだ体力のある組織で、十分に忙しく仕事をさせてもらえたのです。
そこで「一級建築士の資格は足の裏の米粒だ」という業界あるあるお題を聞きます。
まさに「取っていないと気持ち悪いが、取ったからといって食えない」



一級建築士受験

そんな頃、女性は出産育児と仕事との選択という「悩ましい年ごろ」が始まります。
その状況で設計の仕事をあきらめる先輩を見てきた私は、その前までの資格取得は必須と考えていました。
仕事をしながらの資格試験受験は集中と要領。現役からすると衰えがかった脳みそ全てを試験勉強に注ぎました。
一級取得後は自宅の一部屋を仕事場として独立。



●出産育児

出産から1年間、仕事は全くしませんでした。誰もが思う、まずは目の前の命を守ることに必死で、とてもとても出来ず。
1歳2か月で近所の保育園に入園させることになり息子といっとき別れることになりました。
保育園のモニターで姿を確認すると、無性に涙が止まらなかったのを覚えています。
私の母性は間違いなく、仕事欲より勝っている・・・実感。
でも後には引けず、泣きながら少しずつ出来る仕事から自宅で仕事を請けはじめました。
今から思うと、幼稚園までは完全に育児でも良かったかも知れません。
でもその時の社会復帰リハビリは役に立って今に繋がっているとも言えます。(物は考えよう)

自宅でできる設計業務は色々あります。
住宅や事務所ビルの設計監理は一人親方の私にとってトッププロジェクトとすれば、
集合住宅や工場や病院や学校の図面の一部を請けることも。
プレゼン用のスケッチだけ書くことも、不動産屋に頼まれて現場を調査して既存図を描くこともあります。
子どもの成長に合わせて、その時出来る仕事をやらせてもらって来ました。


思うこと

気が付けば、まだ建築士として好きな仕事をさせてもらっています。
そして今思うのは、家や建物やインテリアや家具が好きな女性は大勢いるが、女性建築士は少ない。
一級建築士の女性の割合は2割弱だそうです。もし目標を持って進んでいる女性がいたら、もう少し先まで見てもらいたい。
男女区別なく働ける年頃から、そうでない年頃もあります。仕事が大好きなのに専念できないこともある。

それでも、好きなことを続けていけば必ず先に繋がっていく。。。

ママ友からリフォームや建替えの相談を受けることもある。子どもを通しての信頼関係は強かったりする。
女性ならではの発想や気遣いや共感力を生かして人様の役に立つことができる。

私自身、建築業界の片隅で楽しんで「けんちく」して来られたこと、ありがたく感じる今日この頃です。

今吉愛子 Aiko Imayoshi
新宿区西新宿生まれ 
武蔵野美術大生活デザイン科卒
工学院大学専門学校建築科卒
テクノタンク建築設計事務所
(株)山下設計で事務所ビル、
学校、銀行、集合住宅、ホテル旅館等の設計施工監理を経て
NOW・ON一級建築士事務所設立 1級建築士 
インテリアプランナ―